ABOUT

PROFILE

1940年1月10日生/名古屋市出身

日本が世界に誇るカントリーシンガー。

リリースされた作品は、SP盤15枚、シングル盤18枚、LP盤7作、CDアルバム4作。

自叙伝『ころび 転ぶよ 音楽人生』を出版(2004)。

NHKラジオ深夜便に7年間レギュラー出演(00~07)。

現在も内外のアーティストとの交流やライヴコンサート、様々なメディアにと活躍中。


SHORT EPISODES

天才の萌芽

 

 

生家:1940年代前半、次第に空襲が激しくなる中、一家はトミの母親の実家がある三重県尾鷲市に疎開した。戦後名古屋に戻り、家業の洋服店を再開、小さいながらも繁盛した。父親は新しい物に目が無く、戦後まもなくBMWのオートバイを乗り回し、SPレコードプレーヤーとラジオが一体となった電気蓄音機も早々に入手、店頭で音楽、野球や相撲中継を大音量で鳴らし、集客にも役立てた。

 

 

萌芽:3歳になる頃のトミは、レコードやラジオから流れる歌謡曲をはじめとした音楽を次々に覚えていった。46年、小学生になったトミは、地元名古屋で多くののど自慢大会に参加。9歳の時、ついに父親に「歌手になりたい」と打ち明けた。その後も地元で歌い続け、49年、名古屋の芸能社に見出され、山路美鳩の名で東海地方各地を巡業。53年、東京の芸能社の引き合いで”浅草松竹演芸場”に定期出演するに至った。

 

 

ギター:戦後間もない頃は劇場で映画、歌謡ショーやアトラクションがセットになって行われることが多かった。ある日、静岡県浜松市の劇場で「山路美鳩ショー」が開かれることになり、そのリハーサルの際、トミはピアノの一音のチューニングが低いことに気がついた。バックバンドのメンバーに伝えるも「いや、狂っていない」「狂ってる」の応酬となり、困り果てた劇場支配人は再度調律師を呼び出し確認をさせた。調律師は自らのミスを認め、トミが正しかったことが証明された。しかし、小学生の音感に敵わなかったバンドマン達は、悔しさを隠しきれず、引くにも引けず、なんと仕事を放棄してその場を立ち去った。楽器の弾けないトミは涙を飲んで歌うことを断念、ショーは中止となった。

この事件がトミの自立心に火を付け、自分の伴奏は自分でする、と覚悟を決め、クラシックギターを習い始めた。カントリーに始まり、歌謡曲、ジャズ…様々なジャンルや楽曲を問わず弾き語りで歌う、現在のトミのスタイルに繋がった。

 

 

父親:トミの才能に早くから気付き、環境作り、指導に余念が無かった父親。マネージメントはもちろんのこと、ハード面でも当時としては画期的な、ガットギターのサウンドホールにマイクを付けたり、オリジナルアンプも製作、更に独自のワイヤレスシステムも考案した。トミは広いステージを自由に動き回り歌うことができた。

HISTORY  1953 - 2018

1953年
13歳で上京、14歳でテイチクレコードと契約、山路智子の名で歌謡歌手デビュー。後にカントリー歌手へと転向。

1954年
シングル盤♫オリエンタルカレーの唄(CMソング)が大ヒット。

1959年
日本コロムビアに移籍。当時の日本コロムビア名誉会長 藤山愛一郎と歌手 藤山一郎の両氏にあやかりトミ藤山に改名。

1964年
米軍基地内のクラブでのライブショー出演をきっかけに、The Mint Las Vegas(ラスベガス)でショーに一年半にわたり出演。
ラスベガスでの成功を経て、カントリーミュージックの最高峰の舞台と称されるTV番組「Grand Ole Opry」に出演。トミがJohnny Cashの後に歌った♫テネシーワルツはスタンディングオベーションを受け、この模様はAP通信により全世界に発信された。
ABC TVの人気バラエティー番組「Les Crane Show」に出演。
「Danny Thomas Show」(米)に出演。

1965年
シングル盤♫Lonely Togetherがアメリカのヒットチャートランキング カントリー部門で日本人初のチャートインを果たす。
1年半のアメリカでの活動を終え帰国。

1966年
ベトナム戦争最中、米プロモーターからオファーを受け、三ヶ月間に渡りベトナム各地のキャンプを慰問。その後もアジア太平洋各地(台湾、フィリピン、タイ、南ベトナム、グアム、サイパン)の米軍キャンプで慰問コンサート。

1988年
ジャズギタリスト廣木光一氏の門を叩く。♫Georgia on my mind、♫Summertimeなどのレパートリーに於ける自らのギターコードワークもジャズに傾き、新境地へと進んだ。

1995年
アルバム『Lonely Together』を発表。64年にシングル盤としてリリースされた同タイトル曲に、日本語歌詞を加えた新しいアレンジを施すなど、バラエティに富んだアルバムとなった。

1997年
Nashvill WSMラジオの「Midnite Jamboree」に出演。

1999年
Comstockレコード(米)により、オリジナル曲♫Boogie Woogie Yodelがアメリカ、ヨーロッパの放送局に配信され、インディーズ部門5位、ヨーロッパでは総合14位となる。

2000年
NHK「ラジオ深夜便・エンジョイカントリー/アンカー室町澄子アナウンサー」(生放送)に出演(00~07)。

2001年
ケンタッキー レキシントンでラジオ番組「WoodSongs」に出演、インターネット放送でも配信される。
「キウイ カントリー ミュージック フェスティバル」(ニュージーランド オークランド)に出演。
ニュージーランド北島各地でラジオ番組出演やライヴも行う。

2002年
セカンドアルバム『ゴールド/GOLD-Visit America』を発表。

2003年
タイ バンコクにてDr.Kプロジェクトとライヴを行う。

2004年
自叙伝『ころび 転ぶよ 音楽人生』を出版、かまやつひろしvo(故人)、森山良子vo、なぎら健壱vo各氏を迎え「出版記念コンサート」を開催。
”朝日ホール(浜離宮)”において廣木光一g氏を迎えてコンサートを開催。

2005年
”ヤクルトホール(新橋)”において廣木光一g、国府弘子p両氏を迎えてコンサートを開催。

2006年
"草月ホール(赤坂)"にて「トミ藤山 わがままコンサート~TOMI IN THE BOX~」を開催、渋谷毅p、古澤良治郎ds(故人)、廣木光一g、プロデュ—サ—に川村年勝の各氏を迎える。

2007年
"草月ホール(赤坂)"にて「トミ藤山 わがままコンサートPart.2」を開催、佐山雅弘p、梅津和時sax、松本照夫ds、大川俊司b(故人)、木村昌也ts、渡辺隆雄tp、田辺博信g、小川美潮vo、竹内宏美cho、田中美登里mc、古澤良治郎ds、廣木光一g、プロデュ—サ—に川村年勝の各氏を迎える。

2008年
「祝春一番」(大阪)コンサートに出演。
”ブルース アレイ ジャパン(目黒)”に出演。

2009年
「ばんけいジャズフェスティバル」(札幌)に出演。

2010年
”次郎吉(高円寺)”で「古稀バースデーライヴ」を行う。
日本調歌謡曲のアルバム『昭和歌謡名曲選』を、ギター弾き語りで発表。
”浅草公会堂”でコンサートを開催。

2011年
”公園通りクラシックス(渋谷)”で室町澄子氏と「ラジオ深夜便再現コンサート」を行う。

2012年
「Music City Roots」(米)に出演、グラミー賞プレイヤーAlison Brownが友情出演。
「Bluegrass Underground」(米)に出演、Ralph Stanleyと共演。

2015年
トミ藤山の歴史を辿ったドキュメンタリー映画『MADE IN JAPAN/Joshua Bishop監督』が完成。ナレーションはElijah Wood(The Lord of the Rings)。
「South by Southwest 2015」(テキサス州オースティン)に同映画出品、客演。
「Nashville Film Festival 2015」(米)音楽部門優勝。
「Hot Springs Documentary Film Festival」(カナダ カルガリー) 、「Asian American Panorama」(サンディエゴ)、「The Cinefamily」(ロスアンジェルス)、「HAWAII International Film Festival」(ハワイ)で上映、客演。
「Grand Ole Opry」に、1964年以来二度目となる出演。

2016~18年
”はっぽん(国立)”、”ブロンコ(宇都宮)”、”ティアラこうとう(江東区)”、ほか全国各地で熱唱中。
2018年10月1日”公園通りクラシックス(渋谷)”で室町澄子氏と「ラジオ深夜便再現コンサートvol.13 FINAL」を行う。